江戸時代江戸城が完成する前年に発刊された「毛吹草」に見る山葵の産地
1638年寛永15年に京都の旅宿の主人松江維舟重頼が書いた貞門俳諧の書「毛吹草巻第四」に諸国の名物が記述されています。その中に記されているわさびの産地を拾い出すと、安芸(広島)の新城山葵と近江(滋賀)の国の名前が見られます。
残念ながら、山葵の産地に駿府や伊豆の名前は出てきません。駿河の国の産物は「久野密柑」と「三穂松露」がでてきます。伊豆の国の産物は「良姜」と「椎茸」がでてきます。
岩波文庫「毛吹草」
この諸国名物は、西国地方の産物については非常によく詳細に記述されています。
わさびについては、もともと日本全国に自生している日本原産の植物ですので、わさびの栽培が始まったのが安部川上流の有東木というのは疑問があります。
安芸(広島)や近江(滋賀)のわさびの産地が存在することの説明ができないからです。
古くは鎌倉時代の建治2年(1276年)富士の南条氏へのお礼の手紙に日蓮聖人が食した河海苔、八頭芋とともに富士川支流精進川のわさびがでてきます。
慶長10年二代徳川秀忠が京都二条城で将軍となったときに出された料理のお品書きにわさびがでてきますが、この時に出されたわさびはおそらく京都近郊の近江あたりのわさびであったでしょう。仮にわさびが安部の山奥で栽培されていたとしても、安部の山奥から何日もかけて京都に運ばれたとはとても思えません。近場で産しているものがあれば、京都近郊で調達したに違いないからです。何といってもわさびは「生もの」の生鮮野菜なのですからね。
参考文献:江戸時代の諸国名物(農産物)については 、「図説江戸料理事典」を参照。諸国の農産物が国別に記されています。
1638年寛永15年に京都の旅宿の主人松江維舟重頼が書いた貞門俳諧の書「毛吹草巻第四」に諸国の名物が記述されています。その中に記されているわさびの産地を拾い出すと、安芸(広島)の新城山葵と近江(滋賀)の国の名前が見られます。
残念ながら、山葵の産地に駿府や伊豆の名前は出てきません。駿河の国の産物は「久野密柑」と「三穂松露」がでてきます。伊豆の国の産物は「良姜」と「椎茸」がでてきます。
この諸国名物は、西国地方の産物については非常によく詳細に記述されています。
わさびについては、もともと日本全国に自生している日本原産の植物ですので、わさびの栽培が始まったのが安部川上流の有東木というのは疑問があります。
安芸(広島)や近江(滋賀)のわさびの産地が存在することの説明ができないからです。
古くは鎌倉時代の建治2年(1276年)富士の南条氏へのお礼の手紙に日蓮聖人が食した河海苔、八頭芋とともに富士川支流精進川のわさびがでてきます。
慶長10年二代徳川秀忠が京都二条城で将軍となったときに出された料理のお品書きにわさびがでてきますが、この時に出されたわさびはおそらく京都近郊の近江あたりのわさびであったでしょう。仮にわさびが安部の山奥で栽培されていたとしても、安部の山奥から何日もかけて京都に運ばれたとはとても思えません。近場で産しているものがあれば、京都近郊で調達したに違いないからです。何といってもわさびは「生もの」の生鮮野菜なのですからね。
参考文献:江戸時代の諸国名物(農産物)については 、「図説江戸料理事典」を参照。諸国の農産物が国別に記されています。
わさびづくり30年



