大正時代大見山葵業組合発行の「本場 山葵の栽培」に見られるわさびについて
三枝家に残されているわさびの資料文書の中に大正4年4月初版発行大正11年7月再発行の「本場山葵の栽培」という大見山葵業組合発行の小冊子があります。
明治23年 静岡県知事時任為基に農工商同業組合規則にもとずき「山葵業組合規約書御認可願」を申請し、明治23年11月27日に知事の許可が下り大見山葵業組合が発足しました。
日本で最初に発足した最も古い山葵の組合組織なのです。
大見山葵業組合の発足を受けて、組合が発行した山葵栽培の小冊子です。
書かれている内容として
大見山葵
適地
開墾
整地
植付
手入及保護
収穫
品種
被害
収支決算
となっています。
山葵栽培の振興のために大見山葵業組合が組合員向けに発行した二十七ページのわさびの栽培指導書です。
その記載されている内容について特に注目される点は、「大見山葵」の項目と「品種」の項目にあります。
大見山葵
伊豆大見山葵ハ東京市場ニ於テ本場物ト号シ 狩野及河津等天城山一帯ニ生産スル山葵ト共ニ料理界ニ一種ノ貴重ナル原料ナリ。
本地以外他地方ヨリ生産スルモノヲ場違物ト称シ市価ニ差違アリ、本場物ノ特色ハ香気深キト粘着力ノ多キト辛辣中ニ甘味ヲ含ムト保存力ニ富ムトニアリ。
・・・・・・・・・・・・
本地(大見、狩野、河津)と本地以外の他地方の産する山葵と市場価格に格差があること。
さらに、本場山葵の品質の特徴に言及しており、本場物の特色として
「香気(かおり)が深い」
「粘着力が多い」
「辛さの中に甘味を含む」
「保存力に富む」
などのことをあげています。
これらの良質なわさびの条件は、今でもまったく同じように言えることです。
江戸時代より本場物のわさびとは、これらすべての条件を満たしているわさびなのです。

「本場山葵の栽培」大見山葵業組合
大正四年四月二十日 発行
大正十一年七月二十日 再発行
品種
山葵ハ所謂山秢菜ト称スルモノニシテ植物学上十字科ニ属シテ陽春長キ茎更二四弁ノ白花穂状ヲナシテ簇生ス
葉ハ極メテ葵ニ似タリ蓋シ山葵ト称スル所以ナルカ心臓形ニシテ不斉ナル波状線全面ニ亘リ種類ニヨリテ多少緑色ニ濃淡ノ差アリ
春季ハ葉柄一尺ヨリ長キハニ尺ニ及ビ品種ニヨリテ濃青淡青紫赤淡紫色等アリ
根茎ハ即チ吾人ノ目的トスル部分ニシテ長サ三四寸ヨリ大ナルモノハ能ク七八寸ニ達ス其ノ佳良ナル品種ノ具備スベキモノハ
「長大ニシテ淡緑色ナルモノ」
「葉柄ノ着痕蜜ニシテ整然タルモノ」
「葉柄強大ニシテ放出整ヘルモノ」
等ナリ
今我大見山葵ノ品種ニツキ大要ヲ示セバ
達磨種
長太種
地苗 芽高種
(葉柄ノ青色ヲ帯ブルモノ)
芽ツミ種
(外約78種)
芽ツミ紫種
中太種
安部種 割レ茎種
(葉柄ノ紫色ヲ帯ルモノ)
芽高紫種
(外約67種)
地苗ト称スルモノハ本地原産ニシテ古来ヨリ連続シテ栽培シ来リタル品種ニシテ最上ノモノナリ
一般ニ青茎ト称シ収穫多量市価亦貴キヲ以テ名アリ
安部種ト称スルモノハ本県安部郡ヨリ移植セシモノニシテ茎部紫赤色ヲ呈スルヲ以テ赤茎ト称シ品種ハ青茎ニ比シテ劣等ナレトモ腐敗ニ耐エユルヲ特徴トス
以上ハ山葵品種ノニ大別ヲ示シタルモノナルガ更ニ地苗ニツキテ主要ナルモノヲ列挙シテ参考ニ供セントス
(一)達磨種 葉柄太クシテ緑色ヲ呈シ根茎ヤヤ短矮ナルモ能ク肥満シテ重量多ク市価貴キヲ以テ優等種ナリ
(ニ)長太種 達磨種ニ似テヤヤ太サニ於テ劣リ長サニ於テ勝レルヲ特徴トス繁殖力ハ達磨種ヨリモ強ク此又極メテ上等品ナリ
(三)芽高種 葉茎又強大ニシテ青ク根茎ニ附着セル芽(葉柄ノ脱落ト共ニ現ワルルモノ)高クシテ一見識別スルコトヲ得ベシ
地苗のわさびの品種が本地大見の原産の品種で古来よりず~と栽培して来た品種で最上のものであり、多収量で東京市場で評価が高く名が通っている。
大見の栽培されている地苗には、(一)達磨種、(ニ)長太種、(三)芽高種など70種以上もあった。
安部が山葵栽培の発祥の地であり、伊豆に山葵の苗が運ばれて伊豆の山葵栽培が始まったと言う説は、大見(中伊豆)地方ではまったく言われておりません。
大見原産の山葵の苗が多収量の評価の高い山葵の品種で、この苗が古くから大見地方で栽培されていた。
安部から苗が運ばれて伊豆の山葵栽培が始まったわけではないのです。
もともと江戸の神田青物市場でとても評価の高い地苗の大見(中伊豆)山葵の品種が栽培されておりました。
三枝では狩野川の支流大見川のさらなる支流地蔵堂川の源流である天城山中の本川に山葵田を所有しています。その源流部の周辺の天城山中には、人の手の加わらない湿地に今でも自生しているわさびを見ることがあります。
地蔵堂川の源流部には、コビサワラや本川(岩ダキ)や井戸の沢や大円望などの山奥の国有林内のわさび田があるのですが、もともとわさびは日本全国の山奥の湿地に自生している日本原産の植物なのです。
ところで、徳川家康の話した言葉は色々調べてみると、「駿河土産」などに書かれていますが、静岡県立図書館などで調べてみても「安部の山葵が家康に献上され門外不出のご法度品になった」などの記録は一切何も出てきませんでした。
安部の山葵が記録されているものには、阿部正信著1909~1935年(明治42~昭和10年)「駿国雑誌第2巻」p365に表われてきます。
最近、江戸時代の伊豆国の支配について詳しく調べてみて、色々な新しいことがわかってきました。特に伊豆国は旗本の支配する村が多くあり、三島や韮山の幕府直轄の代官支配とは別の旗本の私領とでもいうべき村々が非常に数多くありました。
江戸城周辺に幕府直属の家臣団の旗本屋敷を設け、江戸周辺関東や中部に旗本の領地を置いてまもりを固めておりました。
また、詳しく江戸時代の伊豆国の江川代官や三島代官さらに旗本領について調べてわかったことを報告しようと思います。
三枝家に残されているわさびの資料文書の中に大正4年4月初版発行大正11年7月再発行の「本場山葵の栽培」という大見山葵業組合発行の小冊子があります。
明治23年 静岡県知事時任為基に農工商同業組合規則にもとずき「山葵業組合規約書御認可願」を申請し、明治23年11月27日に知事の許可が下り大見山葵業組合が発足しました。
日本で最初に発足した最も古い山葵の組合組織なのです。
大見山葵業組合の発足を受けて、組合が発行した山葵栽培の小冊子です。
書かれている内容として
大見山葵
適地
開墾
整地
植付
手入及保護
収穫
品種
被害
収支決算
となっています。
山葵栽培の振興のために大見山葵業組合が組合員向けに発行した二十七ページのわさびの栽培指導書です。
その記載されている内容について特に注目される点は、「大見山葵」の項目と「品種」の項目にあります。
大見山葵
伊豆大見山葵ハ東京市場ニ於テ本場物ト号シ 狩野及河津等天城山一帯ニ生産スル山葵ト共ニ料理界ニ一種ノ貴重ナル原料ナリ。
本地以外他地方ヨリ生産スルモノヲ場違物ト称シ市価ニ差違アリ、本場物ノ特色ハ香気深キト粘着力ノ多キト辛辣中ニ甘味ヲ含ムト保存力ニ富ムトニアリ。
・・・・・・・・・・・・
本地(大見、狩野、河津)と本地以外の他地方の産する山葵と市場価格に格差があること。
さらに、本場山葵の品質の特徴に言及しており、本場物の特色として
「香気(かおり)が深い」
「粘着力が多い」
「辛さの中に甘味を含む」
「保存力に富む」
などのことをあげています。
これらの良質なわさびの条件は、今でもまったく同じように言えることです。
江戸時代より本場物のわさびとは、これらすべての条件を満たしているわさびなのです。
「本場山葵の栽培」大見山葵業組合
大正四年四月二十日 発行
大正十一年七月二十日 再発行
品種
山葵ハ所謂山秢菜ト称スルモノニシテ植物学上十字科ニ属シテ陽春長キ茎更二四弁ノ白花穂状ヲナシテ簇生ス
葉ハ極メテ葵ニ似タリ蓋シ山葵ト称スル所以ナルカ心臓形ニシテ不斉ナル波状線全面ニ亘リ種類ニヨリテ多少緑色ニ濃淡ノ差アリ
春季ハ葉柄一尺ヨリ長キハニ尺ニ及ビ品種ニヨリテ濃青淡青紫赤淡紫色等アリ
根茎ハ即チ吾人ノ目的トスル部分ニシテ長サ三四寸ヨリ大ナルモノハ能ク七八寸ニ達ス其ノ佳良ナル品種ノ具備スベキモノハ
「長大ニシテ淡緑色ナルモノ」
「葉柄ノ着痕蜜ニシテ整然タルモノ」
「葉柄強大ニシテ放出整ヘルモノ」
等ナリ
今我大見山葵ノ品種ニツキ大要ヲ示セバ
達磨種
長太種
地苗 芽高種
(葉柄ノ青色ヲ帯ブルモノ)
芽ツミ種
(外約78種)
芽ツミ紫種
中太種
安部種 割レ茎種
(葉柄ノ紫色ヲ帯ルモノ)
芽高紫種
(外約67種)
地苗ト称スルモノハ本地原産ニシテ古来ヨリ連続シテ栽培シ来リタル品種ニシテ最上ノモノナリ
一般ニ青茎ト称シ収穫多量市価亦貴キヲ以テ名アリ
安部種ト称スルモノハ本県安部郡ヨリ移植セシモノニシテ茎部紫赤色ヲ呈スルヲ以テ赤茎ト称シ品種ハ青茎ニ比シテ劣等ナレトモ腐敗ニ耐エユルヲ特徴トス
以上ハ山葵品種ノニ大別ヲ示シタルモノナルガ更ニ地苗ニツキテ主要ナルモノヲ列挙シテ参考ニ供セントス
(一)達磨種 葉柄太クシテ緑色ヲ呈シ根茎ヤヤ短矮ナルモ能ク肥満シテ重量多ク市価貴キヲ以テ優等種ナリ
(ニ)長太種 達磨種ニ似テヤヤ太サニ於テ劣リ長サニ於テ勝レルヲ特徴トス繁殖力ハ達磨種ヨリモ強ク此又極メテ上等品ナリ
(三)芽高種 葉茎又強大ニシテ青ク根茎ニ附着セル芽(葉柄ノ脱落ト共ニ現ワルルモノ)高クシテ一見識別スルコトヲ得ベシ
地苗のわさびの品種が本地大見の原産の品種で古来よりず~と栽培して来た品種で最上のものであり、多収量で東京市場で評価が高く名が通っている。
大見の栽培されている地苗には、(一)達磨種、(ニ)長太種、(三)芽高種など70種以上もあった。
安部が山葵栽培の発祥の地であり、伊豆に山葵の苗が運ばれて伊豆の山葵栽培が始まったと言う説は、大見(中伊豆)地方ではまったく言われておりません。
大見原産の山葵の苗が多収量の評価の高い山葵の品種で、この苗が古くから大見地方で栽培されていた。
安部から苗が運ばれて伊豆の山葵栽培が始まったわけではないのです。
もともと江戸の神田青物市場でとても評価の高い地苗の大見(中伊豆)山葵の品種が栽培されておりました。
三枝では狩野川の支流大見川のさらなる支流地蔵堂川の源流である天城山中の本川に山葵田を所有しています。その源流部の周辺の天城山中には、人の手の加わらない湿地に今でも自生しているわさびを見ることがあります。
地蔵堂川の源流部には、コビサワラや本川(岩ダキ)や井戸の沢や大円望などの山奥の国有林内のわさび田があるのですが、もともとわさびは日本全国の山奥の湿地に自生している日本原産の植物なのです。
ところで、徳川家康の話した言葉は色々調べてみると、「駿河土産」などに書かれていますが、静岡県立図書館などで調べてみても「安部の山葵が家康に献上され門外不出のご法度品になった」などの記録は一切何も出てきませんでした。
安部の山葵が記録されているものには、阿部正信著1909~1935年(明治42~昭和10年)「駿国雑誌第2巻」p365に表われてきます。
最近、江戸時代の伊豆国の支配について詳しく調べてみて、色々な新しいことがわかってきました。特に伊豆国は旗本の支配する村が多くあり、三島や韮山の幕府直轄の代官支配とは別の旗本の私領とでもいうべき村々が非常に数多くありました。
江戸城周辺に幕府直属の家臣団の旗本屋敷を設け、江戸周辺関東や中部に旗本の領地を置いてまもりを固めておりました。
また、詳しく江戸時代の伊豆国の江川代官や三島代官さらに旗本領について調べてわかったことを報告しようと思います。
わさびづくり30年



